と、言うわけで、今日は両国です。
三毛さんのいた回向院には鼠小僧のお墓があります。
みんなが欠いてかけらを持っていくので丸くなったのだそうです。今ではこのお墓の手前にそれ用の墓石が立っています。
回向院は明暦の大火の犠牲者を弔うために建てられました。
江戸時代はここの境内で相撲興行が行われていました。
戦前までの国技館もここにありました。
戦後はGHQに接収されその後は、団交などが行われた日大講堂になりました。
今ではオフィスなどが入った複合ビルになっています。
すぐ裏手にあるのが吉良上野介、終焉の地です。
この井戸の水で首を洗ったということです。
すぐそばにあるのが時津風部屋
両国には場所柄、ちゃんこやさんがたくさんあります。
隅田川のそばに見つけたお店です。
永谷園さん、ラーメン茶漬けの次は、
「ちゃんこチャーハン」でどうでしょう?
今が旬の牡丹鍋、「ももんじや」です。
すごいネーミングです。
建物は新しくなりましたが、
初めて見つけたときの衝撃がよみがえります。
80ホンはありました。
地下鉄の中と同じです。
両国橋です。
山本周五郎「さぶ」の冒頭、
雨の中、泣きながら歩くさぶを栄二が追いかける、
両国橋です。
両国橋のすぐ上流の柳橋。
神田川の終点です。
もう少し上流の右手が国技館です。
もう少し上流が蔵前橋です。
蔵前橋を渡った右手が蔵前国技館のあったところです。
今は下水処理場になってます。
(
国技館の変遷はこちら)
蔵前橋を渡って戻ると右にあるのが、
旧安田邸庭園です。
庭だけが残っています。
ドーム状の建物は両国公会堂です。
安田善次郎さんは、富士銀行、
安田海上火災、浅野セメント等の創業者です。
鶴見線の「安善」の駅名の由来とは知りませんでした。
通りをはさんで関東大震災の「慰霊堂」です。
鳩が飛び立ちます。
後ろは塔になっています。
コンペによって建てられた建物です。
中に入ると不思議な生き物が
震災で犠牲になった5千人の小学生を悼んだ
「遭難児童弔魂像」です。
小学生だけで5千人とは・・・。
阪神淡路の犠牲者が6千余名ですからねぇ。
しかし悲劇は終わらないのです。
戦時中、この像は徴用されたのです。
二度殺されたようなものです。
しかも誰かを殺したかもしれません。
現在の像は昭和36年に再建されたのだそうです。
開館してすでに10年になる「
江戸東京博物館」です。
ずっと税金の無駄使いだと思ってきたのですが・・・。
絢爛豪華な大名屋敷、片隅に見つけたロウヤの文字。
つぶさにわかる武士、商人、職人の暮らし。
街の賑わい。
有史以前から現代まで、6時間かけてのタイムトリップ、
足はフラフラ、頭はクラクラです。