各話解題
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画像をロードし終わるまでクリックはお待ち下さい●第4クール
#40 『まじょかいぎ』
98/12/06 演出・今沢哲男 作画監督・杉本道明 (トランスアーツ)
30分スペシャルの3本目。このストーリーの導入部は、“魔法アイデアコンテスト”選考会の後、貝澤さんや伊藤さん、東プロデューサー、木戸 AP らとお茶を飲んでいる時に、なんとなく話し合いながら出来たものでした。
ロアルド・ダールの『魔女たち』を映画化した、ニコラス・ローグ監督の "Witches" (ビデオ題『魔女をやっつけろ』)という映画が大好きなのですが、この映画では悪い(醜い)魔女たちがホテルに集まって悪さをしようという内容でした。
ファンファンの魔女は、ふきこさんがその代表ならば、今風でもっとファッショナブル、かつポップな人たちに違いない。そんなところから、このストーリーが出来ていったのです。伊藤さんがデザインされた、各国の魔女たちの楽しさ。数も半端ではありません。
このシリーズもいよいよ最後のシーズンに入り、その意識もありつつシナリオは書いています。今までのお話や設定などをこじんまりまとめてしまう方向ではなく、楽しくフレームアップさせていきたい、と考えていました。そしてこれは“スペシャル”と銘うたれて観て貰うものですから、そのスペシャル感というものも必要です。
出来上がったシナリオは、極めて童話的なファンタジー(原作とはまた違う)であり、かつ視野も広いものとなって、今までのファンファンとはかなり異質なものです。しかし今沢さんは非常にシナリオを面白がって下さり、ラストの、世界樹の枝が地球を覆っていくイメージは、貝澤監督と共に今沢さんと一緒に考えたものでした。
今沢さんはファンファン・ワールドのスタンダード、ベーシックな日常ベースのエピソードを多く手がけられてきた方ですが、このスペシャルでは実に映画的なスケール感、そして映画の空気感を導入され、描きだされておられました。
リリエルはベテランの山本圭子さんがゲストとして演じられていて、オンエアで初めてこのエピソードを観たとき、「ああ、これはアニメというより、まさにマンガ映画だなぁ」という感慨、そういった作品に携われた自分自身の幸福感を感じていました。#41 『みずうみのひみつ』
98/12/12 演出・小坂春女 作画監督・爲我井克美
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小坂+爲我井という、傑作『プールがたいへん』コンビ再び、という事で、あの回は多分に意識しながらお話を作りました。そうとは説明しないまでも、あの回と同じポーズでぽぷりが膝を抱えて座るショットがあって、実にそれが愛らしかったです。しかし、同じ様に話は進まないところが私なりのファンファンへのアプローチでもあります。
えびす町・にこにこ銀座は、原作者の柏葉さんのお住まいになられている仙台辺りにあると(何となく)イメージしています。子どもたちの冬の遊びはスケートじゃないか、とその辺りから発想。
あの水の中の人魚の様な精霊には、シナリオでは“サヨリ”という名前をつけていたのですが、爲我井さんと伊藤さん共作によるキャラ表には“座敷人魚・サヨリちゃん”と書かれてもいました。このネーミングの意味についても、いろいろと想像して貰えるのではないでしょうか。
この人魚の娘と母が、いったいいつからそこにいるのか、それらの事には判らないままお話は終わります。スケートをする湖の氷の下には、不思議なものが住んでいるのかもしれない――、子どもたちにそんな想像をして欲しいと思い、敢えて説明をしないでいます。私にとっての“ファンタジー”とは、こういう小品なのです。観たいものを見せてくれた小坂さん、爲我井さん、現場の全スタッフには感謝するばかりです。
シナリオでは、湖の底の描写は意識的に控えめにしていたのですが、小坂さんは敢えてそこをしっかり見せることで、サヨリが住んでいる非日常的世界を実感させてくれていました。
他にも見所は、コンビニ良美さんらの素敵なウィンター・ファッションですね。#42 『サーカスがやってきた』
98/12/19 演出・葛西 治 作画監督・進藤満男 (進藤プロ)
久しぶりにしてこれが最後の原作脚色回。原作のこのお話は、最初に読んだ時からとっても好きで、絶対に映像化したいと思っていました。ぽぷりが魔術師と絡むくだり以外は、原作に沿った脚色をしています。結末が御覧になった通りのものなので、“その後”のふきこさんと魔術師、いえ、喫茶店のマスターのお話はなかなかし難くなってしまいます。ですから、シリーズ終盤でやろうという事も決めていました。
ぽぷりの語りで物語を進行させています。原作の、お話を聞かせてあげる、叙事的なテイストをアレンジしたものです。
この原作が好きだったのは、大人の恋愛譚としてであるのは当然なのですが、サーカスというシチュエーションが映画的だからです。サーカス、カーニヴァル、旧いアメリカ映画では楽しいステージ・シーンと、旅をしていく人間臭いドラマが合わさって、独特のムードを醸し出していたのです。近年の映画では、クリント・イーストウッドの『ブロンコ・ビリー』という映画があって、個人的にはイーストウッド作品ではベストに好きな作品です。そんなイメージを想い描きつつ、この脚色はとても愉しみつつ書いています。#43 『ほんのなかのぼうけん』 (#44 とシナリオナンバーが入れ替わっています)
98/12/26 演出・五十嵐卓哉 作画監督・伊藤郁子
最後の30分スペシャルです。五十嵐氏も最後の担当話。そして誰より、このファンファン・ワールドのイメージ・リーダーである伊藤さんが手がける最初にして最後の30分スペシャル。やりたいことはみなそれぞれたくさんあります。いつもにも増して、力が入ったホン作りでした。
本の中を冒険するお話――というのは伊藤さんの提案。海の中のお城のシーンも、伊藤さんが以前から私に「やりたいイメージ」として話してくれていたものです。
ただ一匹最後に残っている、力を失った小さなドラゴン。それを巡ってぽぷりとアマネがお互いを大事に想う――というイメージは五十嵐氏が「そういうのをやってみたいんです」、と語ってくれたもの。
この頃は皆忙しく、三人会ってという場はとうとう持てなかったのですが、電話やFAX、携帯などでやりとりをしていました。
それを受けてのストーリーづくりは、告白すると、未曾有な苦しみでした。〆切も随分と破り続けて、やっと上がったものがこのストーリーだったのです。
みんながやりたい事をきちんと折り込みつつ、一つのお話にまとめるということ自体は、そう難しい事ではありません。何に苦しんだかと言えば、それはこのファンファンというシリーズでの、ファンタジーの決定打にしたい、という私自身の「やりたいこと」、五十嵐+伊藤という『セーラー』以来、多くの素晴らしい作品を創ってきたコンビが、全力で立ち向かってくれるに相応しいものにせねば、という、何よりも私自身のプレッシャーだったのだと思います。
シナリオを上げてからの、伊藤さん、五十嵐氏の力の入れ方は、それは凄まじいものでした。素晴らしい作品というのは、才能がある人がサラリと作るものではなく、やはりそれだけの努力というものが不可欠なのだと思い知らされます。
サブタイトルの“ぼうけん”は、このシリーズではある狙いをしている回に限ってつけています。 #20 『ぽぷりのぼうけん』と、この『ほん』がその二本でした(どちらも五十嵐演出)。
ほんのこころは“ものがたり”でした。そして、映像フィクション(映画やドラマ、アニメーション全て)も、物語が“心”だと私は考えているのです。
※ メイキング・オブ・ほんのなかのぼうけん
準備中です。お楽しみに。#44 『ひとりぼっちのかげぼうし』
99/01/09 演出・貝澤幸男 作画監督・宮原直樹
新番組立ち上げの為に、一時演出ローテーションから離れていた貝澤監督の久々の復帰作でした。とは言え貝澤さんはシナリオ会議には毎週参加されていましたけど。
これもやはり、貝澤さんの「こんなお話をやってみたい」という提案を受けて作ったものです。お話自体は極めてシンプルで、キモは「影の世界にぽぷりが入り込む」というくだりのヴィジュアルです。
シナリオではポジとネガの様な、階調を反転させるイメージで書いていましたが、貝澤さんの演出では、その要素は残しつつ、二次元世界という平面的な世界を、実際には平面媒体であるアニメーション画面にて表現するという、極めて難しそうな事をいともあっさり実現していました。
影の世界に入ったぽぷりがかげぼうしを追いかけるくだりは、ノーマルな作画をデジタル効果で平面的にパースをつけるという手法が採られ、これもまたデジタル作品だから成立したエピソードだったと言えるでしょう。
やはり新番組に参加される為に抜けてしまわれた、上野ケンさんの代わりに来て戴いた宮原さんの作画も、元気よく走るぽぷりを気持ちよく描いてくれています。
冒頭、ぽぷりたちが公園で遊んでいるのは、シナリオ決定稿では“かげふみ”になっていますが、初稿では“石蹴り”だったのです。初稿の打ち合わせの時に、後にかげぼうしとする遊びと同じにしましょうと貝澤監督と話し合って“かげふみ”に変えたのですが、私が直しをするまでにやや時間が開いてしまい、結局そこのところは初稿のままに演出されました。
石蹴りという遊びをした事が無かった私は、脚本家の横手美智子さんに、関西圏での石蹴りルールを教授して戴いて、奴(やっこ)型の升目をシナリオ初稿に書き添えていました。#45 『かぜにのって』
99/01/16 演出・今沢哲男 作画監督・中田正彦 (コクピット)いよいよファンファンも、最終章に入りました。これまで一年掛けて綴ってきた、ぽぷりの魔法修行と、にこにこ銀座、そして魔女・ふきこさんとの物語が終わろうとしています。
ピンチィが、“渡り風”と一緒に飛びたがって――、という導入の部分は、随分と前に貝澤監督から「こんな話やあんな話」といったよもやま話の中に出てきたものでした。それを思い出して、今回のエピソードが出来上がったのです。
ピンチィは――、本当にいいキャラクターだったと思います。デザインも、声も。各話の演出さん、作画さんもみなピンチィを動かすのを楽しんでくれていた様です。その、ぽぷりの最も仲良しな魔法・ピンチィとは、ずっとディスコミュニケーションの関係でした。それが楽しいムードにもなり、かつぽぷりの未熟さをも浮き彫りにしていたのです。そのピンチィと意志疎通が、それも言語的に成される――。ぽぷりの魔法修行のクライマックスに他なりません。これは、アニメシリーズ『ファンファン』の、まさに終章の始まりです。
また、今話の演出は今沢さんで、最後の登板となります。誰よりも、語らざるレギュラー“のんすけ”(犬を連れた幼児。原作に登場する隠れキャラクター)を愛して演出されてきた今沢さんに敬意を評する意味でも、本当は最後までやらない事になっていた、ぽぷりがのんすけに話しかけるシーンを書きました。
風の精霊の古老には、フラーという名前をシナリオではつけています。風の精霊が一斉に空を飛ぶファンタジックなシーン、なつみと一緒に軽やかに跳ねるぽぷり――。中田さんも今回が最後の作監、作画回でした。
お二人とも本当にお疲れさまでした。#46 『ぽぷりのポケット』
99/01/23 演出・小坂春女 作画監督・宮原直樹ぽぷりのデザインを最初に見た時から、あのいっぱいあるポケットには何が入っているのだろうと考えていました。シリーズが始まって、幾度か伊藤さんと話している内に、今回のエピソードで開示した様に見えてきたのです。
前回で、ぽぷりは魔法の種を全て使い果たしています。魔法の種が無い時に、ぽぷりがどう“魔法的なこと”を見せてくれるだろう――。そんな事を思ってこのエピソードは出来上がりました。
ファンファンでは、貝澤監督の『にじいろかたつむり』以来、幾度も演劇的な表現をしていますが、その集大成的なアプローチをやっておきたい、という私の狙いもありました。
宮沢賢治をこよなく愛される小坂春女さんも、この回が最後の担当。終盤からの参加なのに、活き活きとぽぷりを描きだして下さった宮原さんも、ラスト回。お二人ともお疲れさまでした。
実はこのエピソードは、最終二話の後に書いています。放映枠の時間帯は、特番が入る事が多く、全何話になるのかがギリギリまで決まらないのです。
書き残していた、冬の精霊登場エピソード、そしてぽぷりのネーミングの由来、ポケットがいっぱある理由――、それらを一話で全て詰め込むのは難しい事を成立し得る技法が、演劇的なシチュエーションでもあったのでした。#47 『ながれぼしにおねがい』
99/01/30 演出・貝澤幸男 作画監督・杉本道明 (トランスアーツ)いかにこのシリーズに幕を引くか。それ自体は、実は1クール目の終わりくらいには考えはじめていて、折りに触れ伊藤さんや貝澤さんらと話していた事でした。
当初貝澤監督は、にこにこ銀座の人たちと別れる場面はあまりやりたくない、という意見でした。別れは回想シーンで、という案に、私は「違う」と対立したのです。
このシリーズは、十分(正確には9分半)で描ける物語に拘ってストーリー作りをしてきました。十分だから、直裁なメッセージも言い切れる。十分だから、不思議なことにいちいち理由づけする必要がない――。そうやって描いてきたこの物語を締めるには、最終回らしい最終回としてけじめがつけたかったのです。テレビを観てくれてきた子どもたちに、ぽぷりにちゃんとお別れを言わせたかった。
いわゆる“泣かせ”の為の盛り上げは、私自身も好きではなく、避ける傾向があります。
しかし私は、このシリーズでは避けずに、別れの悲しさをも正面切って描きたい、と思っていました。真っ向から対立する格好となって、なかなか書き出せなかったのですが、貝澤監督が、ながれぼしというものをモチーフにしたい、という案を出され、伊藤さんは、「ながれぼしはほうきぼし、魔女のほし」という素敵な連想をしてくれたのです。
これが突破口となり、最終二話の物語を作ることが出来たのでした。
悲しい涙は、この『ながれぼしにおねがい』でしっかり描く。そして最終話は、ぽぷりらしい、『ファンファンファーマシィー』らしい、想像力をかきたてられる様な、嬉しい涙で別れたい。そう願っていました。
ぽぷりが町の人たちに強がりを言いながら駆け抜けていくシーン。あの場面の、まるでぽぷりの涙目の主観の様な描写は、私のシナリオに対する貝澤監督の答えだ、と感じました。悲しみを抑制しながらも、ぽぷりの気持ちが痛い程に判る、重い場面でした。
そうしたぽぷりの微妙な感情、夜の窓から迎えに来る、これまでで最も魔女らしいふきこさんの美しさ、シリーズを支えてきた作画監督の一人、杉本さんの最後に相応しい、力の入った作画が印象深いです。#48 『にこにこぎんざにさようなら』
99/02/06 演出・貝澤幸男 作画監督・伊藤郁子愚直なまでの直球勝負。それが私のシナリオであったとすれば、それを見事な魔球にしてくれた、貝澤コンテと伊藤さんの魂の作画でした。
中盤は、シナリオからかなりアレンジされています。私自身はどうしても切れなかった、ママとのシーンを潔く削り、ぽぷりがこのシリーズで描いてきた“魔法”の存在を感じるまでのくだりが膨らんでいます。ここは、アフレコ・スタジオでラッシュを見ている時に震えるほど感銘を受けました。このシリーズの魔法を本当に深いところでヴィジュアル化されていた。このシリーズの最大のドグマ「魔法はどこにでもあるもの」。私が見たかったものは、あれだったのです。最後の最後に、貝澤さんにそれを見せて貰えて、本当に嬉しかった。
精霊達が、ぽぷりの名を呼ぶところもシナリオにはなかったのですが、アフレコスタジオで、一回本番を録った後に、貝澤監督が私に「精霊達にぽぷりの名前を喋らせたい」と提案してくれた時、即座に「それは素晴らしい」と答えました。何故そうシナリオに書かなかったのか、と悔しかった程です。ラルゥは喋らない精霊だったのですが、ここでぽぷりの名を呼ばせる事に誰も異議を唱えませんでした。急遽、御崎朱美さんがこの役を演じています。
最後の“さよならまほう”、そのきっかけの部分、町の人たちの涙から生まれたというのも、コンテで加わったものです。コンテには、「町の人たちは、ぽぷりが元気に動き回ってるところを一番印象深く見ていた筈です」とメモが書き添えられていたそうです。伊藤さんは、小さな滴の中に、全てポーズが違うぽぷりを描かれています。
原画のクレジットが壮観でした。後番組に専心している爲我井さん以外の作画監督がほぼ勢揃いしています。これも伊藤さんが声を掛けて実現出来た事でした。
スケジュールが非常に厳しい製作となった最終二話ですが、アフレコ時には殆どのカットに色がついていました(普通なら無理なスケジュールでした)。役者さん達に、悔いの無い最高の演技を残して欲しいと願った、原画、動画、演助、進行、彩色、背景、撮影――、全てのパートのスタッフが頑張った証です。その後の効果、選曲、ダビング――も……。ここに名前を出していない、多くのスタッフが、このシリーズを本当に愛して、力を尽くしたこのエピソードで、『ふしぎ魔法 ファンファンファーマシィー』は終わりました。
エピローグは、なつみちゃんを、そしてふきこさんとにこにこぎんざを原作にお返しする気持ちを込めています。ですから、なつみはアルデルの小瓶を持っていません。