1日目 ロンドン到着

 いきなりヒースロー空港到着。とはいえ、エコノミー・クラスでの12時間の飛行はやはりつらかった。かつて来たときは飛行場からロンドンまで地下鉄で行ったのですが、今回はロンドンで仕事をしている友人の「速いよ」という薦めもあり、ヒースロー・エクスプレスに乗りパディントン駅へ。お薦め通りだった。ハイドパーク近くのホテルまでタクシーに乗る。ホテルは「TWO HYDE PARK SQUARE」といい、台所がついているタイプ。通常のホテルよりも宿泊費はかなり安く、その割に部屋もきれいで、水道の出がちょっと悪い以外問題なく、なかなか良いホテルでした。このホテルは妻が選んだもので、今回は妻と娘との3人旅です。

写真:ホテルの部屋のバルコニーからハイドパーク(方面)を望む

 さて、ヒースローに着いたときから感じていたが、ロンドンは暑い! ヨーロッパが異常気象で暑いという話は来る前に知っていたものの、ちょうど出発の日の東京のような蒸し暑さ。嫌な予感も的中し、ホテルには冷房がなかった。ホテルに着いた夕方はちょうど西日が差し込み、これじゃ夜になっても暑くて寝られないんじゃないか、という暗い気持ちになった。
 とりあえず友人に電話する。この友人は、以前ロスでCGの仕事をしていて(アメリカ旅行記参照)最近仕事が変わり(ちなみに今はセサミストリートで有名なJIM HENSONのスタジオでCGを担当)ロンドンに来ている。友人の到着を待ち、4人でいっしょに食事へ。このホテルの最寄り駅は「Marble Arch」で、そこを通り過ぎてどんどん歩いているうちに「Oxford Circus」まで来てしまう。なら「Piccadilly Circus」まで行こうということになるが、ピカデリーまで続く「Regent Street」の西側には「Savile Row」という通りがあり(ここはいわゆる「背広」の店が軒を連ねる通り。SAVILEは背広の語源、と旅行案内の本にある)、そこにはかつての「APPLE社のビル」が今もあります。じゃあまずそこを見てから、と提案して皆で向かう。アップル・ビルへ行くのは3回目で、1回目は場所がわからずその前を通り過ぎ、2回目に発見、そして今回はまだこれを見ていないビートルズ・ファンでもある友人を案内しての3回目です。


旧アップル・ビル

 この旧アップル・ビルの写真は2回目に来た時に撮影したもの。ビートルズが設立したアップル社が入っていたビルである。ただ、ドアが当時とは違う(と、今回友人の指摘)。他にも、地下に降りていく階段がなくなり、柵が変わり、3階部分の窓まわりなども変わっているものの、全体の印象は当時を彷彿とさせる。
 初めてここへ来たときは感動した。なにしろこのビルの屋上で、あの映画「LET IT BE」の最後を飾る「ROOF TOP CONCERT」を演ったのだから。「GET BACK」や「DON'T LET ME DOWN」がここの屋上から街中に響きわたったんだ、という想いがあふれる場所。映画のなかでも随所に挿入される、その時ここに居合わせた市民のいろんな反応も、ここに来ると実にリアルに感じられるような気がします。

写真右:2000年撮影のアップル・ビル。
写真左:映画「LET IT BE」の中の1シーン。1969年当時のアップル・ビルの全景。


 アップル・ビル前で皆で記念撮影をした後、ピカデリーの中心であり、待ち合わせ場所としても有名な「エロス像」の下で写真を撮り、まずはパブでギネスを飲み、その後近くの中華街で食事。ギネス・ビールはイギリスに来たら必ず飲みます。この時はへたな注ぎ方をされ、今一つ。中華の味は予想していた通りのもので、想像におまかせします。
 ところで、この中華街界隈の「GERRARD STREET」は1968年、レッド・ツェッペリンの4人が初めてリハーサルをし、「TRAIN KEPT A ROLLIN'」を演ったという貸しスタジオがあった場所です。しかし今回は、その通りの名前をメモしてくるのを忘れており、多分そのスタジオも今は存在しないであろうし、まあこの辺だったんだな、くらいの感慨を持つことで終了。
 食後、友人とともにバスに乗ってホテル近くまで行き、ちょっと道に迷う。ホテルで飲む酒のために氷を買いに近くの雑貨屋に行くがなぜか氷は置いていない。あきらめてホテルに戻ると部屋の暑さは少しだけやわらいでいた。
 夜中、寒さで目が覚めた。窓を開け放って寝ていたのだが、やはりここはロンドン、夜は普通に冷える。投げ出していた毛布を掛けてまた眠る。

MAY DAZE - 1999年5月15日

 初めてロンドンに来たのは1999年のことです。この時は仕事(マーシャル・アンプの工場見学)をかねてのことでした。夕方、「Hard Rock Cafe」近くのホテルにチェック・インしたあと、初めての地にビビリながらも初めてのロンドン・タクシーに乗り「MAY DAZE」が開催されているパブへ駆けつけました。
 この「MAY DAZE」とは、レッド・ツェッペリンのファンの集いのようなもので、こういう催しがあるということをインターネットで知り、それが偶然にもロンドン到着の日だったのです。しかし会場に着いた時はすでに会も終わりに近づいている時間で、入り口でチケットを買う際、半額にしてくれました。中へ入るとスクリーンにブートビデオでおなじみのボケボケ映像が上映されており(77年のライブで、会場撮りのヤツ。今回ZEPのDVDにもおまけで入っていました)広いパブの中に点々とお客さんが座っています。この時は一緒にロンドンへ来た人(札幌のK楽器のUさん)と一緒に行ったので心強かったのですが、実際来ている人は全てZEPファンであっても、そ れぞれの間にあまり交友は生じません。知り合い同士が固まって話しているみたいな感じなので、一人だと結構しんどかったでしょう。これは海外で日本人に会っても知らんぷりをするのと似ている?
 そんな中、トリビュート・バンドの演奏が始まります。とは言っても、あくまで楽しく楽しくと言う感じのもので、完コピでもなんでもないのですが。ビールを飲みながら演奏を聴いていると、目の前を知っている人が通りました。それは西新宿界隈で有名なアメリカ人、E.S氏でした。さっそく声を掛け、しばし話しました。彼はここでも知り合いが多いらしく(彼はお客さん、と言っていたが・・)、いろいろと動きまわっていました。彼曰く「こっちの英語って変だよね?(ちなみに彼は日本語ペラペラである)」。まだイギリスに到着したばかりでイギリス人とはほとんど喋っていなかったためコメントできなかったが、今思うにアメリカの英語よりはイギリスの英語の方が、発音がきれいでわかりやすいと思うのだが・・(コックニー訛りとかになるとお手上げですが)。もともとアメリカ英語を喋っている方からすると変に聞こえるのでしょう。
 会も終わりに近づく頃、帰ろうとするある人物に人が次々集まり声を掛けたり写真を撮っています。E.S氏に聞くとそれはLUIS REY氏でした。かのブート音源解説本「LED ZEPPELIN LIVE」の著者です。さっそくE.S氏に紹介してもらい、自分のHPのアドレスを渡しておきました。なんでも「CONCERT FILE(この時点ではまだ未発表)」の著者の一人、DAVE LEWIS氏も来ていたようですが、すでに引き上げた後だったそうです。

写真上:「MAY DAZE」のチケット。
写真中央:トリビュート・バンドの演奏。アコギが2人にパーカッションが1人。後で女性ボーカルも加わる。
写真下:E.S氏が会場で買ったという怪しげなビデオCD。ZEPの80年ヨーロッパツアーの会場撮りの映像が入っているらしい。


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