福永武彦研究『夢のように』(C)1998 Yuichi Toyokura


〜灰市(仮) 記憶〜

 記憶というものは少し時間が経つと鮮明ではない。僕はこの夏のある部分は極めて鮮やかに、昨日のことのように覚えているが、しかし全体に渡ってぼんやりと霧のにじんだような記憶しか持ち合わせていない。たとえば、その町に病院があったかどうか。自分が病気になったわけでもないのに、どうしてそんなことが気になったのか。その家の居間にいつも居る老人が、毎月山向こうまでリウマチの薬をもらいに行くというのを気の毒に思ったからか。そう思ったときには、その町に病院がないということを知っていたか、それとも後から知ったのか。そもそも本当に、その町には病院がなかったのか。山向こうまで行くのは大変でしょう、僕が言うと、仕方がないさ、答える老人の語気の強さばかりを思い出す。

by Yuichi Toyokura(H.11.11.05)

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