福永武彦研究『夢のように』(C)1998 Yuichi Toyokura


〜私の「私小説」〜

 「私小説は又新しい形で現れて来るだろう。」これは、小林秀雄の「私小説論」の終わりの言葉だ。学生の時に、高校生だったと思うが、この言葉に私が感じたものは、不安と、それ以上の期待だった。不安とは、私はどうした、こうしたと書くのは、つまらない恥ずべきものであって、そうした書き方は本当に亡びてしまうのではないか、ということであり、期待とは、何か画期的な手法が現れ、それにより私小説がその有り様を変えて救われることだった。私は文学に関して実に視野の狭い学生であったので、やがて私小説は亡び、あらゆる事象を取り込んだ全体小説の世が来ると、信じて疑わなかった。
 私という学生は、その存在の拠り所を求めて必死であった。そして私小説に辿り着いた。私は、はじめて小説を書いた。それは中学三年の時だ。そして、三年も経たないうちに、私小説の終焉を知らされるのだ。私は嘆き、悲しみ、やがて諦めた。私の愛読していた福永武彦も、どうも私小説はよくない、というようなことを言っているように、私には思えた。大学に入り、社会的たらんと努めたが、小説を書く気力は衰えるばかりだった。
 大学を卒業してから読んだのだが、福永武彦は、「鴎外、その野心」という著作の中で、生活と想像力の兼ね合いというようなことを言っている。森鴎外の「半日」という小説は、いたずらにその妻を揶揄したものではなく、それ以上のことを書いているので、細君が腹を立てるのは道理に合わないというようなことを書いている。してみると、福永は私小説を嫌っていたのではなく、何かの小説がつまらない私小説と読み誤れることを嫌ったのだろう。
 最近、江藤淳と車谷長吉の対談(『文學界』H.10.3)を読んだが、そこに「私小説の虚構性」という言葉が出てきた。私小説の場合は「私」が「虚点」なのだという。そこを通して書き連ねるから、虚構が成立しているというわけだ。なるほどと私は思い、同時に頭の芯の鈍い痛みとともに、我に返った。
 福永も、江藤も、車谷も、なにか正しいことを言っているには違いないが、それは、小説を書いた者の言葉であり、小説を読んだ者の言葉だ。これから小説を書こうとする者の言葉には成り得ない。私は、何か、苦しみを、辛さを、そして喜びを書きたかったのではないのか。私には、「虚点」は後から訪れるだろう。そうして初めて、私に新しい私小説は姿を現すのだ。
by Yuichi Toyokura(H.10.3.30)

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