福永武彦研究『夢のように』(C)1998 Yuichi Toyokura


〜資料室〜

加田伶太郎全集
芳醇な読書の楽しみ 満喫させる最高傑作

 『草の花』『忘却の川』『海市』など、多くの名作を残した作家福永武彦は、推理小説の愛読者だった。のみならず、昭和31年(1956年)から37年にかけ、年季の入った蘊蓄を傾けて、加田伶太郎の筆名のもとに自ら本格推理小説を著した。本書『加田伶太郎全集』は、その全作品にあたる十編の短編推理小説、および一編のSF小説を収めたもの。ちなみに筆名の「加田伶太郎(カダレイタロウ)」は「誰だろうか(タレダロウカ)」の、また、ほとんどの作品に登場する探偵役の、さる私立大学古典文学科助教授「伊丹英典(イタミエイテン)」は「名探偵(メイタンテイ)」の、アナグラムだというから、なんとも堂に入った遊戯感覚というほかはない。

 かつて江戸川乱歩は福永武彦すなわち加田伶太郎の作品を評して、「謎と論理の本格探偵小説」「論理遊戯の文学」と述べた。ことほどさように、上質な遊び心にもとづき、すみずみまで緻密な趣向を凝らしたその作品は、読者に謎解きの知的快感を満喫させてくれる。十編の短編推理小説はいずれも秀逸だが、とりわけ密室殺人をテーマにした「完全犯罪」、若くして死んだ姉の幽霊が出現し、被害者を心理的に追いつめる顛末をスリリングに描いた「赤い靴」の二編は、トリック組み立ての緻密さといい、結末の意外性といい、推理作家加田伶太郎の最高傑作といえよう。

 加田伶太郎の推理小説もほとんど殺人事件をテーマとするが、その作品世界にはまったくおどろおどろしさや、血なまぐささは見られない。それは、高度の強要人であった英国の推理小説家と同様、推理小説をあくまで謎解きゲーム、気晴らしの知的遊戯とみなす、余裕に満ちた姿勢によるものであろう。

 こうした姿勢によって紡ぎ出された、本書の世界に浸りながら、私は昨今稀なる読書の芳醇な楽しみを味わうことができた。巻末に、著者の推理小説論、および先述の江戸川乱歩をはじめ、平野謙、都筑道夫、丸谷才一等々、諸家の加田伶太郎論が併録されているのも楽しい。

井波 律子(国際日本文化研究センター教授)(朝日新聞 H13.3.25 書評欄)

戻る