福永武彦研究『夢のように』(C)1998 Yuichi Toyokura


〜置き去られた者〜

 昨年末、中村真一郎という人が亡くなった。その著作の「小説入門」を読み、それが僕の文学史だった。それから、「文章読本」も半分読んだ。福永武彦とは学生時代からの友人であり、二人は概ね同じ道を歩んだと言っても、僕はいいと思う。僕は、文学に関しては、学生時代にそのような友人を得られなかった。
 僕が福永武彦を知ったのは、高校生の時、鹿児島の天文館にある本屋の隅の棚だった。「福永武彦集」とある、その随筆集をどうして手にしたのか、もう覚えていない。僕は、この本を通して、文学というものを学び、自分の孤独を見つめたりした。僕は、福永武彦という人に会いたいと思ったが、もう既に、この世の人ではなかった。
 僕は、福永武彦について語り合いたい一心で大学に入ったが、福永武彦を知る者は非常に少なく、居たとしても、それは僕の満足から遙かに遠かった。僕は、福永武彦などという人は、もう忘れ去られたような人で、ただ僕だけが、この人を思い慕っているのではないか、と思った。
 それから、福永武彦は、僕の胸の奥底に仕舞われた。「福永武彦全集」も埃をかぶり、長いこと本棚から取り出されることもなかった。「福永武彦研究会」というのがあることを知ったのは、昨年11月のことだ。昨年の夏に数人の会員が、中村真一郎に会ったという話を聞いたとき、なぜだか僕は、どんなに望んでも、自分は会えないだろう、という気がした。実際、もう、本当に会えなくなってしまった。
 僕は、「置き去られた者」なのだ。その悲しみは深く、いつまでも、求めることを止めないだろう。
by Yuichi Toyokura(H.10.2.6)

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