福永武彦研究『夢のように』(C)1998 Yuichi Toyokura


〜福永武彦と黒田三郎と萩尾望都(c)〜

黒田三郎 1919(大正8)〜1980(昭和55) 詩人。広島県生まれ。
27歳/1946(昭和21)年にジャワから帰国。
28歳/1947(昭和22)年、第二次『荒地』創刊に参加。
35歳/1954(昭和29)年、詩集『ひとりの女に』でH氏賞。
50歳/1969(昭和44)年まで日本放送協会に勤務。

福永武彦 1918(大正7)〜1979(昭和54) 福岡県生まれ。
28歳/1946(昭和21)年、英語教師に。
29歳/1947(昭和22)年、『1946 文学的考察』。療養所に。
30歳/1948(昭和23)年、『マチネ・ポエティク詩集』。
35歳/1953(昭和28)年、療養所を退所。
36歳/1954(昭和29)年、『草の花』刊行。
46歳/1964(昭和39)年、『忘却の河』刊行。

 この二人は期せずして同時代的なものを持っていたようだ。だから、互いの影響力というようなものが例えなかったにしろ、同じようなモチーフを抱いているというような想像は容易だ。たとえば戦争というものの現実は大きかっただろう。それは多くのものを奪い、また彼らは多くのものを失っただろう。その喪失感を癒すものが、たとえば愛として表現されたかも知れない。

 萩尾望都については、彼らと同時代的なものを求めるには無理があるかも知れない。それでも私は、こんな話を知っている。手塚治虫が亡くなったとき、萩尾望都はたいそうショックだったそうだ。それも自分が漫画を書くことを続けられるかどうかを左右するほどに。けれど彼女は漫画を書き続けている。それは割と個人的な問題に過ぎないのであり、それと戦争を比べてみるのは間違っているかも知れない。それでも、先の二人と同じようなベクトルを彼女が持っているとは言えないだろうか。それが作品に表れてはいないだろうか。『トーマの心臓』は、トーマという少年の死から物語が始まっている。

 今回、並べてみた小説と詩と漫画は、表現形式も違うし、こまかく比べてみると、ささいなところが違っている。それでも表現しようとしているベクトルが一緒だ。だから、私には解ったのだ。喪失感に希望を与える、そういうベクトルで、これらの作品は書かれている。

by Yuichi Toyokura(H.11.4.18)

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