バーボンストリートにある、「Maison Bourbon」という店。店の外からでも只で演奏が聴ける。

8日目(8月20日)

早いもので、実質的な最終日がやってきた。私が寝ている間に妻はネイル・サロンへ行く。私は11時頃目覚め、バルコニーへ出ると下の道でおねえちゃんがギター一本で歌っている。しかしお客さんがおらず、昼だと言うのに「GOODNIGHT IRENE」を歌って店じまい。しばらくして妻が戻り、掃除のおばちゃんも外で待っているので部屋を出る。何よりも生ガキが旨いということで、今日の昼食も生ガキだ。どこで食べても同じ生ガキが出るが、この時期はこの種類なのだろう。ケチャップに辛いホースラディッシュを混ぜたものをかけて食べる。ここにもCROWFISHはなかった。食後、ルイ・アームストロング公園まで歩くことにする。途中墓地があり、中でツアー客が説明を受けているので、我々もここぞとばかり中に入る。中を軽く一回りするが、結構荒れた墓もあり何とも言えない気持ちになる。こちらでは夜に墓地を訪れる「CEMETARY TOUR」とか言うのがあるが、そんなことをしても大丈夫なのだろうか。ちょっと道に迷いながらも公園に到着。誰もいない。ルイ・アームストロングの銅像の前で写真を撮り、トランペットに触る。そこだけ光っていることから、みんな触っているに違いない。きれいな場所だがリスが追いかけっこしている以外に特に何もなく、公園を後にする。途中、感じの悪いウェイトレスのいる店でアイスコーヒーを飲み、まあせっかくだからと言うことで「HARD ROCK CAFE」にも入り、再びアイスコーヒーを飲む。中を一通り見て回るが、これぞという展示物はあまりない。店を出るとすぐそこがミシシッピー川、お別れの挨拶をする。

晩御飯は「CAJUN CABIN」という、文字どおりケイジャン料理を食べさせるライブハウスへ行く。今日の出演は「MITCH CORMIR & THE CAN'T HARDLY PLAYBOYS」。もちろん知らないバンドだ。曲の感じは昨日ボーリング場で見たザディコバンドがやっていたものとあまり変わりがない。ただ、こちらのほうがコードの変化があり、ギターにカントリー・フレーバーもあり、まだまし。しかし耳について離れないタイプの曲調は同様で、しばらくは聞きたくない。それは料理も同様だ。久しぶりに肉でも食べたいと思い、ポークなんとか、を頼むが出てきた肉はグレーのソースにからまっている。食べてみるとガンボやジャンバラヤなどと同系統の味。独特のスパイスですぐに胸一杯になり、食べられない。しかし、この店に来てとうとうCROWFISH(ザリガニ)にお目にかかれた。バケツに入れられて出てきたそれは写真などで見ていた通りに、真っ赤で旨そう。だがやはりここからもあのくどい香りが。食べた感じは、やたら辛くて味がない。ザリガニだから身も少ない。まあ、一応夢が叶ったのだし(破れたとも言うが)それで良しとする。ここに来て、ザディコ風の音楽とガンボ系の食べ物は、私の中で切っても切れないつながりを持ってしまった。今後はザディコを聞けばガンボの味を思いだし、ガンボを食べればザディコが頭の中で鳴り響くだろう。

「off BEAT」誌に載っていた「Snug Harbor」の8月のスケジュール。

今晩のメイン・イベントは「SNUG HARBOR」というライブハウスで行われる「HENRY BUTLER & 山岸潤史」のライブ。「SNUG HARBOR」はフレンチクオーターの外れにあり、多少危険かも知れない場所と言うことで、荷物は何も持たずに出かける。店内は食事スペース、ドリンクスペース、そしてライブホールに分かれている。ホールは小さく、一段高いステージ場にピアノとボーズのスピーカー、そしてギターアンプが置かれているのみ。ヘンリー・バトラーはすでにピアノのところでスタッフと打ち合わせをしている。白いスーツに身を包み、黒のサングラスと白い杖。彼は盲目なのだ。
開演時間が近づいた頃、山岸氏が到着。日本人の我々に気が付く。こちらも久しぶりに会った友人のような気持ちで、思わず挨拶をする。彼はこちらでは「JUN YAMAGISHI」として活動している。ステージでチューニングを終えると、我々のテーブルに来て話をする。やはり日本人同士が異国で会えたうれしさみたいなものがあるのだ。まだヘンリー・バトラーのCDを聴いたことが無い事を話すと(CDは妻がロスで見つけて買っていたのだが、今はプレーヤーがなく聴けないのだ)彼の事を教えてくれる。彼はいわゆる天才ピアニストで「ブっとぶ」ほどのテクニックの持ち主だそうだ。例えば「PROFESSOR LONGHAIR」から「DR. JOHN」という流れがあるとしたら、その延長線上に位置するほどの人ということなのだ。かつて、山岸氏の友人でもある「ブッカー・T」がヘンリーとセッションした際、そのテクニックに圧倒され、しばらく呆然としてしまいギターが弾けなかったというエピソードも聞かせてもらった。ヘンリー・バトラー自身まだ知名度は低いが、今夜のライブはビデオで録画され、このあとに行われる予定のアメリカ・ツアーのプロモーション用に使われるとのこと。

HENRY BUTLERのニュー・アルバム「Blues After Sunset」。
SNOOKS EAGLINというギタリストとのデュエットがフューチャーされている。(Black Top CD BT-1144)

演奏が始まる。最初はヘンリー・バトラーのソロ。山岸氏によれば2曲のソロの後、彼が出るということだったが結局3曲演る。3曲目は大変美しい曲。そして山岸氏がステージへ呼ばれセッションが始まる。ピアノが弾き始めるとそれに合わせて徐々にギターが加わっていくという形だ。最初はなかなか乗り切れない様子だったが、中盤からぐんぐん弾きまくる。1時間ちょっとやったところで1ステージ目が終了。実はこの後、昨日見られなかった「PRESERVATION HALL」へ行く予定だったのだが、再び山岸氏がテーブルに来てくれたので、素晴らしかった旨を伝え、話を続けるうちに去りがたくなる。「PRESERVATION HALL」はあきらめ、2ステージ目も見ることにし、それまでいろいろインタビューをする。
彼はもう日本に戻るつもりはないという。理由は、日本のシーンへの不満はともかく、こちらの素晴らしさにあるようで、誰であろうと実力があれば受け入れてくれる土壌、常に進歩を続ける音楽シーンの魅力がたまらないということだ。グリーンカードも取得中と言うことで、2ステージ目ではヘンリーがそのことをジョークにしていた(彼は不法就労者ではないよ、みたいな)。何よりも一番驚いたのは、このステージのためのリハーサルは一切なし、ということだった。当然どこかで一緒に2〜3回は練習してからこのステージに望んだのだと思っていたのだが。どおりで、演奏中小さな音でキーを確認したり、真剣に相手の出方を窺っていたはずだ。半分ポーズかと思っていたのだが、まさに真剣勝負だったのだ。しかしこんなことはこちらでは当然のことらしく、こともなげに言ってのける山岸氏が、ギターを抱いた渡り鳥のように見えてくる。単身でこちらへ乗り込み、実力のみで勝負しているその姿には感銘を受ける。
この日は、山岸氏の友人で、同じくこちらでギター1本でやっている広成君も来ていて、彼からも話を聞いたのだが、その話もなかなかのものだった。それは、彼がこちらへ来て初めてのライブに出ることになったときの話で、何の曲をやるとかいうことは一切知らされないため、知り合いに相談したところ、だいたいこれこれの曲をやると思う、と教えてくれたらしい。それで本番まで自宅でそれらの曲を練習して、いざライブに挑んだところそれらの曲はほとんどやらず、大変な目にあったというのだ。ニューオリンズ、というかプロの世界、恐るべし、である。
そんなことを聴いた後の2ステージ目は、見ているこちらまで手に汗を握ってしまう。1ステージ目もそうだったのだが、ヘンリー・バトラーと言う人はなかなかの強者で、相手が乗ってくると、フッと外したりする。その間合いが絶妙で、そここそが天才の所以だと思うのだが、一緒に演奏している方の苦労は並大抵ではないと思う。山岸氏も言っていたが、相手は2本の腕だから、というのがある。ピアノとギターのデュエットは、楽器自体の表現力に勝るピアノが、ギターをある意味フォローすることで成立つ部分があるのではないかと思うのだが、今回のセッションはあくまで対等なのである。言うなれば「HENRY BUTLER "VS" 山岸潤史」だ。それだけに、隙をついて繰り出される流れるようなギターのフレーズはカタルシスもので、思わず声援を送る。
実際、ニューオリンズで観たライブの中では一番素晴らしく、かつニューオリンズの音楽シーンを垣間みれたと思う。終演後、山岸氏がヘンリーに我々を紹介してくれ、握手をする。とても大きな手だ。妻は「彼女はヘンリーのビッグ・ファンだ」と紹介され、抱擁される。死ぬほど感動していた。ただ、今回はカメラなど一切持ってきていなかったため、写真が一点もないのが非常に残念。
その後は、使用しているギターとアンプの話(ギターは名古屋のメーカーの特注品でセミアコ・タイプ、アンプはPEAVY)を聞いたり、我々が今回観たサンタナの話をすると山岸氏も去年(一昨年?)のJAZZ & HERITAGE FESTIVALで観たサンタナがとても良かったという話をしてくれる(ちなみに、ロスで妻がサンタナのコンサート中ほとんど寝ていた事を話すと本気で不満顔になる。それは私も同感)。サンタナを支えるファン層がいわゆるヒスパニック系が多いことにまで話が及び(これは事実であり、人種差別的なことを言っているわけではない)、高校の英語の時間に習った「MELTING POT(アメリカは人種の坩堝)」と言う言葉をここにきて実感する。そして、ロスでB.B. KING達のライブを観てきた話になると、「今、彼らが湖のほう(いわゆる"BAYOU"である)で演ってるよ」という。なんと、あのB.B. KINGツアーが今日ニューオリンズへ来ていたのだ。これは知らなかった。しかしまあロスで観たことではあるし、なにしろ今日はここへ来たのが正解だったと心から思っていたので、それはそれとしてあきらめるしかない。B.B. KINGは「The thrill is gone」で変わったんだよ、みんなそんな曲を持っているんだ、という印象に残る話も聞いた。その他、日本の業界っぽい話なども少しして、かなりな時間になったのでお別れをする。すでに真夜中を過ぎている。冷房の効きすぎた店内から表へ出ると暖かく、イッキに酔いがまわる。ついつい飲み過ぎていたのだ(いつものことだが)。途中で雨が降りだしたが、まったく気にならない。ニューオリンズでは毎日必ず雨が降ったが、これが最後の雨だ
ぬるい雨でずぶ濡れになり、ふらふらになってホテルへ戻る。 全ての予定を終え、数時間後には帰りの飛行機に乗るのだ。


9日目

1日目 2日目 3日目 4日目 5日目 6日目 7日目 8日目 9日目

最初へ戻る

ご意見、ご感想はこちらまで
大西正範--pennywiz@tky.3web.ne.jp--